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第14回定期演奏会 曲目解説

フランツ・フォン・スッペ/喜歌劇「スペードの女王」序曲

 スッペは、1819年4月18日、ダルマチア王国のスパラートで、ベルギー人の父とイタリア人の母の貴族の家に次男として生まれました。クレモナでフルートと和声学を学び、13歳でフランシスコ会の教会で自作のミサ曲が初演されています。
 1846年に『詩人と農夫』を発表。その序曲は、今も世界中で演奏されておりますが、その後、オッフェンバックに刺激され、オペレッタを志し『美しきガ ラテア』『軽騎兵』『怪盗団』などの作品を次々と作曲し、本格的なウィンナ・オペレッタの創始者となります。しかし、皆さんも良くご存知のヨハン・シュト ラウスⅡ世が1847年に、有名な『こうもり』を発表し、一躍オペレッタ界の寵児にのし上がります。しかしスッペは、生涯最高の成功作となる『ボッカチ オ』(恋は優し野辺の花よ~♪)を発表し、ウィンナ・オペレッタの父の面目を守ったという事です。
 『スペードの女王』は、もともと、ロシアの文豪プーシキンの戯曲に材を取った曲で、チャイコフスキーも同名のオペラを作曲しています。
 近衛士官のゲルマンが、「賭けカルタ」で必ず勝利する方法を知っている87歳の老伯爵婦人の噂を聞き、その秘伝を教えてもらうべく部屋に忍び込むのです が、ショックで老婦人は死んでしまいます。しかしお葬式の夜、その亡霊が現れて、3,7,1の順で一晩ずつ張るというその秘伝をゲルマンに伝えたのです。 ゲルマンは、その方法で二晩続けて勝ち大金を握るのですが、三晩目に「1」がなぜかスペードの女王に変わってしまっていたのです。そしてすべてを失って精 神異常となってしまう、というなんとも後味の悪い物語です。
 しかし、ウィンナ・オペレッタの父であるスッペの手にかかると、ちょっと不安定な雰囲気から入り、フルートのゆったりとした可愛らしい中間部分。後半の 小気味良いテンポ感。いつのまにか、わくわくした気持ちを抑えられない、早く次を!そんな感じを抱いてしまうような、オープニングにふさわしい曲になって しまうのです。

シャルル・カミーユ・サン=サーンス/チェロ協奏曲第1番 イ短調 作品33

 彼は3才から作曲を始め13才でパリ音楽院に入学した、まさにモーツァルトと並び称された神童でした。また、音楽評論、戯曲や詩も書く文学者であり、天 文学者や考古学者として学会で発表しただけでなく、「シャルル・サノワ」と名乗って、アフリカ、アジア、アメリカ大陸と世界中を旅行していました。そんな 多才な彼は、きっと何の苦もなく曲を仕上げてしまうのでしょう。どの曲も美しくかつ激しさと暖かさを併せ持っているのに、音楽が自然な空気のようです。本 日演奏する曲は、単一楽章が一気に演奏され、短いながらも場面展開が速く、暖かくかつ颯爽とした音楽に仕上がっています。
第1部:アレグロ・ノン・トロッポ
突然のイ短調の和音で曲が始まり、第1主題が、冷たいつむじ風のように、急速にうねりながら下降するチェロの三連音符で始まります。抒情的な第2主題へと受け継がれて展開部から再現部へと進みます。
第2部:アレグレット・コン・モート
弱音器を付けた弦楽器のささやくような伴奏で始まり、チェロはその上で三拍子の優雅でかわいらしい旋律を奏でます。まるで、小さな娘が風とともに踊ってい るようです。途中、木の葉がひらひらと落ちてくるようなチェロのカデンツァ風を楽しみます。最後は、チェロの低音で、父親が娘に「さあ帰ろうね」と言い聞 かせているようですね。
第3部:テンポ・プリモ
再び急速な三連音符のテーマが現れつむじ風が戻ってきます。冬が近くなったのか感傷的な第1主題がどこか物悲しいですが、チェロが勇気をもって華やかで颯 爽としたテクニックを披露します。少し風が弱まったところで、チェロが低い音で暖かく語りかけます。最後は、春を目前にした暖かな風とオーケストラに助け られ、颯爽と明るく曲を締めくくります。
「え、もう終わったの?」という声が聞こえてきそうですね。そうです、この曲は「風」ですから。

ジャン・シベリウス/交響曲第2番 ニ長調 作品43

 フィンランド国民楽派を代表する作曲家、ジャン・シベリウスの代表作ともいえる楽曲です。シベリウスは フィンランドの内陸の小都市メーンリンチで生まれました。19世紀後半、フィンランドはロシアの圧政下に置かれ続けていました。しかし、第1次世界大戦な どの変動のなか民族自立の運動が高まり、1917年に国家の独立を勝ち取っています。このような時代背景の中、民族色を濃厚に打ち出した作風で知られるシ ベリウスの音楽の一部は、民族自立の精神の象徴となっていました。1899年に作曲された「フィンランディア」は愛国心を刺激して当時の独立運動の象徴と なり、今なおフィンランドの第2の国歌と呼ばれています。

 今回演奏する交響曲第2番は、フィンランディアを作曲した2年後の1901年に作曲されたものです。

 さぞかしこの曲も、帝政ロシアの圧制に屈しないぞというフィンランドへの愛国心に満ちた楽曲かと思いきや、当時のシベリウスの境遇を紐解くとちょっと違った一面も垣間見えるのです。

 1899年に初演された交響曲第1番の成功以降、シベリウスにはカルペラン男爵という友人ができます。男爵自身は裕福ではなかったのですが、シベリウス の才能にほれ込んで惜しみない資金援助を申し出ます。1900年には友人達を説得して5000マルッカ(現在の貨幣価値に換算すると2,000万円相当) をかき集め、この資金でイタリア・ジェノバの郊外にあるリゾート地ラッパロにシベリウスと家族のための住まいを用意しました。シベリウスはここに長期滞在 し、極寒のフィンランドに比べ温暖な気候である新しい土地での穏やかな暮らしがとても気に入りました。ここでの生活で大きなインスピレーションを受けて、 イタリア在住中にこの交響曲第2番を作曲し始めました。

第1楽章では、弦のざわめき、木管の軽やかなリズム、そしてそれと呼応するホルンのメロディが重なって、美しく幻想的に曲が始まります。

第2楽章では、ティンパニや低弦のピツィカートに促されるようにファゴットが憂鬱な旋律を歌います。中間部でバイオリンが奏でる安らかなメロディには、イタリアでの生活から受けた深い印象が色濃く反映されたといわれています。

第3楽章では、弦楽器による急速で荒々しいスケルツォと、オーボエの旋律がのどかで牧歌的な雰囲気のトリオが交互に顔を出した後、最後は盛り上がって休みなく第4楽章に突入します。

第4楽章は、雄大な旋律から始まる壮大な楽章です。後半は低弦と木管のうねるような動きでじわりじわりと盛り上がり、最後は金管楽器は晴れやかな主題を歌い上げ感動的に終わります。

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