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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト/交響曲第40番 ト短調 K.550

 1756年、モーツァルトはオーストリア・ザルツブルクに生まれ、瞬く間に神童の名を轟かせます。 1781年、25歳で活動の拠点をウィーンに移し活躍するも、時のながれと共に戦争による経済恐慌や家族の訃報も重なる苦しい時期を迎えます。1788 年、32歳のモーツァルトは失意と困窮の中、わずか二ヶ月で交響曲第39番、第40番、第41番(三大交響曲)を作曲。

 2010年、モーツァルト晩年の旋律が響き、名曲揃いと評されるが数少ない「短調」作品中の傑作である交響曲第40番をお届けします。

 「ギリシャ風にたゆたうごとき優美さ」や「疾走する悲しみ」と評された交響曲第40番。一度耳にすると離れない名旋律に音楽ははじまり、この名旋律は「ため息」の音型と呼ばれ全楽章にわたって音楽に翳りを与えます。

 

第1楽章 モルト・アレグロ

弦楽器の郷愁さあふれる伴奏にのせて、木管楽器のやわらかな和音にのせて、どこからともなく「ため息」の音型が姿をかえて登場します。やわらかな雰囲気に包まれる時間は儚く、熱っぽく妙に憂いを帯び続ける「ため息」の音型が音楽を不穏な雰囲気へといざないます。

第2楽章 アンダンテ

第1楽章の不穏さとは対照的に、穏やかに音楽がはじまります。しかし、「ため息」の音型の余波はいたるところにあらわれて翳りをにじませるため、不安心がつきまといます。

第17回定期演奏会 曲目解説

第3楽章 メヌエット(アレグレット)

このメヌエットで舞踏を試みると、何だかつまずいてしまいそう。力強い出だしゆえのみならず、歌い始めてからブレスをとるまでの間隔がころころと変わり、 音楽が単純に進みません。譜面はあくまでも一定の拍子を指示し、まるでリズムのトリックアートが仕掛けられているかのようです。

第4楽章 アレグロ・アッサイ

これまでの音楽をドラマチックに展開するとともに、めまぐるしい転調とメロディの掛け合いを繰り返します。そして嵐のように駆け抜けた終着地点は、はじめ て「ため息」の音型が登場した第1楽章冒頭と同じ「ト短調」。見事な回帰を遂げる音楽を構想したモーツァルトに対し、思わず感嘆の「ため息」が洩れてしま いそうです。 翳りがあるからこそ、悲しく、ただひたすらに美しい作品。モーツァルトの一切の無駄のない音符によって紡ぎだされる音楽をお楽しみください。

ヨハネス・ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

 オーストリアの首都ウィーンの南、スロベニアとの国境に近いところにヴェルター湖という小さな湖があります。ブラームスは1877年以降、夏になるとウィーンの自宅を離れ、この湖のほとりの山荘に滞在していました。
 ブラームスは1833年に北ドイツの港町ハンブルクで生まれた人物です。若い頃からピアニスト・作曲家として才能を発揮し、ベートーヴェン没後長らく途 絶えていた交響曲作家として成功することを嘱望されていていました。ボンからウィーンに移り住んだベートーヴェンの足跡を追うかのように30歳の頃に ウィーンにやってきたブラームスは、その期待に誠実に応えるべく、交響曲以外のジャンルで名声を得ながら裏で交響曲の構想を温め続けます。
 そして満を持して第1交響曲を発表したのが1876年の暮れのことです。この作品は大絶賛を受けブラームスは見事に人々の期待に応えます。この成功でよ うやく肩の荷がおり、リラックスした気分でリゾートに出かけることができるようになったのがその次の夏だったということでしょうか。
 そんなわけでブラームスはこの風光明媚な土地でいくつかの名曲を書き上げます。本日お届けする協奏曲もその中の1つで、ヴェルター湖での2回目の夏である1878年の作品です。この曲は、初演を担当したヴァイオリニストで親友のヨーゼフ・ヨアヒムに献呈されています。

第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
作曲者のリラックスした気分を反映してか穏やかに曲は開始します。ただし表情は一定ではなく、ヴァイオリンの優美な歌が聴けるのはもちろんですが、ところ により情熱的になったり、牧歌的だったり、瞑想的だったり、緊迫感にあふれていたりして、当時のブラームスの旺盛な創作意欲が存分に盛り込まれています。

第2楽章 アダージョ
オーボエが奏でるゆったりとした旋律から始まります。このオーボエの扱いに嫉妬してこの曲を拒絶した高名なヴァイオリニストもいたとかなんとか。ヴァイオ リン協奏曲なのだから全楽章ヴァイオリン尽くしなのかと言えば、そう単純にはいかないところがブラームスの渋さです。ただ、一歩引いたヴァイオリンがこれ また美しいのです。

第3楽章 アレグロ・ジョコーソ,マ・ノン・トロッポ
フィナーレはハンガリーのロマ音楽風の賑やかな音楽です。ブラームスがウィーンで売れっ子になったのは1869年に「ハンガリー舞曲」で大ヒットを飛ばし た頃からですが、オーケストラのレパートリーでは意外とハンガリー風味を押し出した曲は少なかったりします。高いテンションで進む曲は終結部でさらに速度 を上げ、華やかに締めくくられます。

アントニン・ドヴォルザーク/交響曲第8番 ト長調 作品88

 ドヴォルザークは1841年にボヘミア(現在のチェコ)に生まれました。後にチェコの音楽の魅力を国際的 に示し、ロマン派を代表する大作曲家になりますが、多くの音楽家と同様、若いころの生活は決して楽ではありませんでした。弦楽器が得意だった彼はヴァイオ リンやヴィオラを弾いて生計を立てる傍ら作曲を続けていましたが、作品を発表してもなかなか認めてもらえない日々が続きます。

 長い下積みの中に転機が訪れたのは、1875年に「オーストリア国家奨学金制度」に応募した時に審査員をしていたブラームスの目に留まったことでした。 ブラームスは彼の才能を大変高く評価し、奨学金の給付を認めるだけでなく出版社の紹介などを行い、生涯にわたって支援しました。これに答えるかのように、 ドヴォルザークは作曲家としての国際的な名声を築いていくことになります。

 ドヴォルザークの作品の魅力は、なんといってもその美しく、親しみのある旋律です。ブラームスが「ドヴォルザークが仕事場のゴミ箱に捨てた旋律をあわせ るだけで立派な曲ができる」と言ったという逸話が残されているほど、メロディを作ることに長けていました。交響曲の分野でも例外ではありません。本日お聴 きいただきます交響曲第8番は、1889年、彼が48歳の時の作品です。プラハから少し離れた自然に囲まれた閑静なヴィソカという村で作曲されたこの曲に は、全楽章にボヘミアの自然の情景を連想させる美しい旋律や、親しみやすい民族音楽を彷彿させる魅力的な旋律が数多くあらわれてきます。

 

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

まず、チェロと木管で演奏される憂いを帯びた最初のメロディに引き寄せられます(モーツァルトの交響曲第40番と同じく最初はト短調で始まります!)。そ の後、フルートの鳥のさえずりを思わせる旋律から一気に活気を帯びていきます。時折のどかな雰囲気を醸し出しつつも、この楽章は圧倒的な推進力をもって進 んでいきます。

 

第2楽章 アダージョ

弦楽器の合奏による田園的なもの悲しい旋律ではじまり、全体的に翳りのあるトーンのある牧歌的な楽章ですが、中間部には感情の高まりもあらわします。

 

第3楽章 アレグレット・グラチオーソド

ヴォルザークの代表作の一つである「スラブ舞曲」を思わせる三拍子で始まる民族舞曲調の楽章です。グラチオーソとは優雅さ、上品さ、洗練さなどの全ての ニュアンスを含む言葉ですが、まさに、この楽章の為にあるような標語です。最初にヴァイオリンで演奏されるノスタルジーを含んだ旋律は、彼の作品中でも優 雅さという点で特筆すべき名旋律です。

 

第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ

トランペットの勇壮なファンファーレに続いてチェロによる主題が提示されます。第4楽章はこの主題に基づく変奏曲の形をとっています。交響曲の終楽章が変 奏曲という例はあまり多くありませんが、ベートーベン、ブラームスが採用していることから、偉大な交響曲作曲家たちを、意識したのかもしれません。印象的 なテーマを変奏曲として巧みに展開しつつ、途中、彼独特の民族音楽の要素をからめて最後に情熱がほとばしる終楽章は圧巻です。

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