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第21回定期演奏会 曲目解説

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 

 /歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492

ウィーンに住み始めたモーツァルトが『フィガロの結婚』を作曲したとき、ウィーンの宮廷楽長(ヨーロッパの宮廷に仕える音楽家の長)を努めていたのはイタリア人でした。
物語は、イタリア人台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテが書きました。
オーストリア出身のモーツァルトとイタリア語オペラとの出会いは、きわめて幸福で貴重な遺産をもたらしてくれました。
演奏会の幕開けに、歌劇『フィガロの結婚』の序曲をお届けします。

「らららららん♪」
あとに来る美事を予測させるメロディーが聴こえてきます。
音の階段を上って、また下りて、木管の美しいメロディーを誘ったら、音楽は予測を上回るように、元気よく動き出します。
あまりにも美しく、上品で、光り輝く楽曲がちりばめられている歌劇『フィガロの結婚』のはじまりです。

『フィガロの結婚』は1786年、モーツァルト30歳のときにパリで初演されました。
物語はダ・ポンテの作品でアルマヴィーヴァ伯爵の結婚を描いた『セビリアの理髪師』の続編として描かれています。
歌劇の舞台は18世紀半ばのスペイン・セビリア近郊のアルマヴィーヴァ伯爵邸。フィガロはアルマヴィーヴァ伯爵の家来です。
序曲はこれから結婚式しようとしている花婿フィガロと花嫁スザンナの幸せに満ちた笑顔があふれでてくるかのように、心弾む旋律にのって進みます。

序曲のあとは、花嫁スザンナの「結婚式はどんな帽子がいいかしら。」と花婿フィガロに相談する愛らしい場面からはじまる本編に続きます。

 

『フィガロの結婚』がまわりを魅了していることを、モーツァルトは友人に宛てた手紙にうれしく報告しています。
「--何しろここでは話題といえばもっぱらフィガロ。弾くもの、吹くもの、歌うもの、それに口笛まで何から何までフィガロなんだ。オペラもフィガロだけ。明けても暮れてもそれしかない。僕にとっては大いに名誉なことだよ。」

初演から220年後も相変わらず愛されていることを本日の演奏会でもお届けできたらと思います。

フェリックス・メンデルスゾーン /交響曲第4番 イ長調 作品90「イタリア」

レモンの香りが漂う爽やかな地中海の風とでも申しましょうか。第1楽章の沸き立つようなメロディーはこれまでの音楽史に登場したあらゆる作品のなかでも際立った爽快感を感じさせます。

まず、冒頭の「パンッ」というシャンパンの栓を抜いたかのような弦楽器のピッツィカートで幕が開けます。泡がトクトクと溢れ出ているかのような木管楽器の 八分の六拍子のリズムに乗ってバイオリンがメロディーを奏でます。勢いはとどまるところを知らず、途中短調のマーチ風のメロディーが顔を覗かせますが、一 気に第1楽章の終わりまで突き進み豪快に終わります。

第2楽章は打って変わって短調の物悲しいメロディーと巡礼の歩みのリズムが絡み合います。第3楽章は牧歌的なバイオリンのメロディーがメヌエットで奏でら れます。第4楽章はサルタレロというローマ地方の舞曲の名前がついており、全楽章を通じて唯一イタリア音楽の要素が取り入れられています。イタリア語で saltareとは英語で言うところのjumpであり、サルタレロとは文字通り延々と飛び跳ねる激しい踊りで、途中からナポリの舞曲であるタランテラ(毒 蜘蛛タランチュラに噛まれると、その毒を抜くために踊り続けなければならないことに由来)のうねるような音楽も加わり渾然一体となって頂点を築いたところ で、引き裂くように終わります。

当団が過去20回の定期演奏会の中でメンデルスゾーンの曲を取り上げたのは第4回のバイオリン協奏曲のみで、今回で2回目です。メンデルスゾーンという 数々の名曲を残している作曲家の一番有名な交響曲にもかかわらず、なかなか取り上げる機会がなかったのは、弦楽器パートにとっては、同じ作曲家のバイオリ ン協奏曲にも匹敵するほどの難曲であるためです。一方で演奏する喜びも大いにあり、また、今回はイタリアと縁の深い松下先生をお迎えすることもあり、思い切って取上げることとなりました。皆様が思い描くこの曲のすばらしさを少しでも表現できたらと思います。

ジュゼッペ・ヴェルディ /歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

19世紀イタリア・ロマン派のオペラの巨匠、ヴェルディの1854年(41歳)の作品。88歳まで生きた彼の人生折り返し地点。初演はイタリアではなくフ ランスのパリ・オペラ座。これは、第一回パリ万博(ちなみに初めて日本が参加したのは「第二回」パリ万博)の観客をあてこんだオペラ座の支配人から委嘱さ れたためで、イタリアオペラにもかかわらずフランス風です。ただ、この初演、音楽の友社「名曲解説全集」によれば、練習中にプリマドンナが愛人とともに失 踪、責任を取って支配人が交代しプリマが戻って練習再開したものの大幅遅れ、というケチがついたそうで。(1854年10月の予定が翌年6月に。万博は5 月から開催ですから期間中に初演できて良かったジャン…)

ヴェルディといえば、他に椿姫にナブッコにアイーダにオテロにリゴレットとたくさんありますが、「シチリアの夕べの祈り」は本日のように序曲だけの演奏会 形式が多く、オペラはなかなか上演されません。また、1980年前後に吹奏楽界隈で大流行し定番となり、さらに序曲ばかりに。吹奏楽ついでに…秋山紀夫氏 によれば、元は1844年に作った歌劇「ジャンヌ・ダルク」の序曲で、劇的迫力ぴったりで流用された、とのこと。

「夕べの祈り」というと穏やかな夕焼けの海岸で綺麗な女性が祈りを捧げ素敵な恋物語が…と想像しますが、ホントは、フランス支配下のシチリア島で起きた 1282年の暴動・虐殺事件「シチリアの晩鐘」を題材とした、血なまぐさいお話です。息子が反逆者と知り苦悩する総督モンフォール、祖国復興の情熱と父に 対する複雑な思いに悩むその息子アリーゴ、アリーゴの恋人エレーナ。アリーゴは彼女の兄であるシチリア王の敵討ちを計画しますが、仮面舞踏会でモンフォー ルに取り込まれたかと思えばエレーナの身代わりに死刑を望み、最後にはエレーナとの結婚が許され盛大な結婚式へ。

ピチカートとホルンから始まる序奏、弦楽器とティンパニに金管・小太鼓が加わる激しい第一主題、そして穏やかな第二主題のあとはスピード感あふれるコーダへ。

ジャコモ・プッチーニ /歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」

「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニが作曲した唯一の喜劇オペラです。主人公ジャンニ・スキッキの娘ラウレッタが歌うこのアリアは、ソプラノ歌手がリサイタルで取り上げる曲としても人気があります。ゆったりと流れる旋律とハープが奏でる伴奏がとても印象的な曲です。<歌詞意訳>ああ愛するお父さん、私は彼を愛してます。だから結婚指輪を買いにボルタ・ロッサ(通り)へ行きたいの。でも私の恋が叶わないならヴェッキオ橋からアルノ 川に身を投げるつもりよ!身を焦がす想いがとても苦しいの!ああ神様、私は死んでしまいます!お父さん、分かって、お願い!

 

ジュゼッペ・ヴェルディ /歌劇「リゴレット」より「女心の歌」

主人公の道化師リゴレットが仕える好色な領主マントヴァ公爵が「女性の心は移ろいやすい」と彼の信条を歌うアリアです。初演の翌日にはヴェネツィア中で歌われていたという逸話があるほど、一度聴いたら忘れられない旋律をもつこの曲はオペラを代表するアリアと言えます。<歌詞意訳>風に舞う羽根のように女は気まぐれ。いつも愛らしく優しげなあの顔、泣いたり笑ったりするのもみな偽り。いつも哀れなのは、そんな女に心を捧げる者。とはいえ、女の胸で愛を味わったことのない奴には本当の幸せなんてものは分からないのさ!

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト /歌劇「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」

主人公フィガロが仕えるアルマヴィーヴァ伯爵の小姓であるケルビーノが恋への憧れを歌うアリアです。短いですがモーツァルトの才能が凝縮された名曲です。弦楽器奏者は弓を使わず、弦を指ではじくピッチカート奏法で軽やかに伴奏をします。<歌詞意訳>恋とはどんなものなのか、教えてよ。僕が恋をしているのかどうかを。こんな気持ちは初めてで、良く分からない。欲望は熱情に満ち、それは喜びであると同時 に苦しみなんだ。自然とため息をつき、苦しみ喘ぎ、知らずのうちに希望に震え、恐怖におののいている。夜も昼も心は落ち着かないけれど、それは同時に喜び でもあるんだ。

 

ジョアキーノ・ロッシーニ /歌劇「セヴィリアの理髪師」より「私は町のなんでも屋」

オペラの第一幕、主人公のセヴィリアの理髪師ことフィガロの登場場面で「オレはヒゲも剃るが、恋の手伝いもする町のなんでも屋。フィガロは最高!」と歌われるアリアです。バリトンの早口、言葉遊び、絶妙な語りなどが楽しめる陽気で快活な曲です。<歌詞意訳>さあ、町のなんでも屋に道をあけてくれ!夜が明けた!店に急げ急げ!腕のよい理髪師にとっては、楽しいことだ。なんでもやる用意をして、夜でも昼でも、と びまわる。かみそりも、櫛も、はさみも、おれ様の命令を待ってここにいる。みんなが俺を求め、みんなが俺に望む。鬘(かつら)をくれ、早く髭を剃ってく れ、早く恋文を持って行ってくれ、おい、フィガロ、フィガロ、フィガロ・・・ああ!なんて忙しい!どうぞお一人ずつ順番にお願いしますよ!

 

ジュゼッペ・ヴェルディ /歌劇「イル・トロヴァトーレ」より「重い鎖に繋がれて」

題名のトロヴァトーレとは「吟遊詩人」を意味します。主人公のマンリーコ(吟遊詩人)の母ジプシーのアズチェーナが、冤罪によって処刑された母親の恨みを 晴らそうと敵の子供を焼き殺したら、実は自分の子供だったという暗い過去を語るアリアです。ドラマティックな音楽が母親の嘆きと叫びを表現しています。<歌詞意訳>母さんは足枷に繋がれ、恐ろしい運命へと導かれていった!そして「あたしの仇を!」と叫んだ。その一言はあたしの心の中に永遠にこだましてるよ!あたしゃ 仇を討つため伯爵の息子をさらって、ここに連れてきた。炎は燃え、子供は泣き叫び、そして恐ろしい亡霊たちの幻が現れたのさ!・・・震える手を伸ばして・・・生贄を・・・炎へ放り込んだ。炎は燃えさかり、獲物を焼き尽くす!・・・ふと見回すと、あたしの目の前にいるのはあの邪悪な伯爵の息子じゃないか・・・!?なんてこと!あたしの、あたしの息子を誤って焼いちまったのさ!

 

ジュゼッペ・ヴェルディ /歌劇「椿姫」より「プロヴァンスの海と陸」

「椿姫」は本日取り上げる「リゴレット」、「イル・トロヴァトーレ」とともにヴェルディの中期の傑作とされています。パリで高級娼婦ヴィオレッタとの恋に 落ちた青年アルフレードの父親が、故郷が育んだ汚れ無きおまえの心はどこにいったのだと歌うアリアです。父親の我が子への愛が満ち溢れています。<歌詞意訳>プロヴァンスの海と、その地を誰がお前に忘れさせたのだ。思い出しておくれ、そこで喜びがお前に輝いていたことを。年老いた父親がどんなに苦しんだか。だが再びお前に会えた。希望も失われたわけではなかった。神様が私の願いをお聞きくださったのだ!

 

ジャコモ・プッチーニ /歌劇「ラ・ボエーム」より「冷たい手を」「私の名はミミ」「愛らしい乙女よ」

題名の「ラ・ボエーム」はボヘミアンを意味します。1830年当時、パリに集まった、貧しくしかし自由なその日暮しを送る文学青年や若き芸術家たちをボ エームと呼んでいました。そんな彼らの出会いと別れ、再会と死を描いたこのオペラは、ドラマとしても音楽としても超一流の質を誇っており、プッチーニの代 表作となっています。

本日は、一幕のフィナーレ、主人公の詩人ロドルフォとお針子のミミが出会って、恋に落ちる場面で歌われる三曲をお届けします。大編成のオーケストラとソプラノ、テノールのソリストが織り成す甘美なプッチーニの音楽をお楽しみ下さい。

 

<歌詞意訳>

「冷たい手を」:何て冷たい手、僕に温めさせて。暗い中で探しても鍵は見つからないよ。でも今夜は月夜で、ここは一番月に近い場所。少し話をしよう。僕の ことを聞いてほしい。僕は詩人だから楽しい貧乏暮らしの中でも愛の歌は惜しまない。空に描いた白に住む心の億万長者。時々、美しい瞳の泥棒が、今も、僕の 夢を全部盗んでしまう。けれど悲しくはない。そこが希望に満たされたのだから。今度は君の番。どうか教えて、君が誰なのか。

 

「私の名はミミ」:皆はミミと呼ぶけれど、私の名前はルチア。お針子の私はユリやバラを刺繍することが幸せ。愛や青春、夢を語ってくれる詩が好き。私は たったひとりで暮らしているの。ひとりで食事をして、毎日神様に祈り、小さな白い部屋で、街や空を眺めてるの。雪解けの季節がきたら、最初の太陽、春の最 初のキスは私のもの!鉢植えのバラの香りはとても素敵。残念ながら、私のつくる花は香りを持たないの。私の話はこれでおしまい。後は、あなたのお隣さんと おいうことかしら。

 

「愛らしい乙女よ」:愛らしい乙女よ、君の中に僕が見たかった夢がある。(その言葉が、甘く私の心に迫る。でも、もうお友達が待っているから行って。)も う追い払うの?(もしあなたと一緒に行くと言ったら?)外は寒いからここで休んでいたら?(あなたの傍にいるの。)腕を組もう、可愛い子。(かしこまりま した、旦那様。)僕を愛してると言って?(愛してる!)

 

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