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第26回定期演奏会 曲目解説

ニールセン / 歌劇「仮面舞踏会」 序曲

 ニールセンは本日のメインプログラムを作曲したシベリウスと同じく1865年に生まれ生誕150周年を迎えました。音楽師を父に持ち、歩兵連隊のトランペット奏者としてデビューしたあと、1884年にはコペンハーゲン音楽院に入り当時の院長であったニルス・ゲーゼらの指導を受けます。1886年から1905年にかけて王立管弦楽団のヴァイオリン奏者として活躍したのち、1908年から1914年は同団の楽長(指揮者)を務めました。その後は母校であるコペンハーゲン音楽院で教鞭をとりました。非常に多くの作品を残しており6曲の交響曲をはじめオペラ、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、合唱曲などのほか250曲におよぶ歌曲が残されています。

北欧音楽家ではグリーク以降における代表的音楽家であり、多調整を用いるなど革新的な作曲手法で知られていますが、伝統的対位法と民族的旋律が裏づけとなっています。デンマークで最も作曲家で、1999年11月から2010年ごろまでは100クローネ紙幣に肖像画が描かれていました。1980年からは彼の名を冠したカール・ニールセン国際コンクールが毎年開催されており、若手のヴァイオリン、フルート、クラリネット演奏者のための権威あるコンクールとして今でも注目を集めています。

 本日序曲を演奏する歌劇『仮面舞踏会』は王立劇場の依頼によって1904年から1906年に作曲されたといわれています。デンマークの古典的喜劇の定番であったルズヴィ・ホルベアの作品を原案とし、学生時代からの知人である文学研究者のヴィルヘルム・アンデルセンに台本を依頼しました。初演のわずか一週間前に序曲を完成させ、自ら指揮をとり大成功を収めました。当初は『仮面舞踏会』をオペラとして上演することへの反発もありましたが、現在では国民的オペラとして親しまれており2006年にはデンマークの文化省が12の最も偉大な音楽作品のうちの1つとして認めています。

 物語は1723年、春のコペンハーゲンが舞台です。主人公は仮面舞踏会で出会った女性と恋に落ちてしまいますが、親によって決められた婚約者がいます。彼が思い悩んでいる一方、婚約者も仮面舞踏会で出会った男性を愛していることがわかり事態はいっそう複雑になります。第三幕でようやく互いが仮面舞踏会で出会った想い人とわかり大団円で幕を閉じます。

 全体をとおして軽快な曲調であり、様々な楽器により挿入されるおどけた合いの手のような旋律は仮面舞踏会の華やかさと非日常性を表現しているかのようです。18世紀のデンマークを思い浮かべながらお楽しみください。

 

グリーグ / ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

恐らくクラシックにあまりなじみの無い方でも、この曲の印象的な冒頭はご存知なのではないでしょうか。ティンパニに導かれて現れるなだれ落ちるようなピアノのメロディーは、作曲家の故郷のフィヨルドに注ぎ込む滝の流れをイメージしたものと言われています。

 エドヴァルド・グリーグは1843年生まれ、北欧ノルウェーの作曲家です。彼は25歳の夏を妻と生まれたばかりの娘を伴ってデンマークで過ごしましたが、その滞在中にこの曲を書き上げ、初演もデンマークのコペンハーゲンで行われ大成功を収めました。全曲を通して抒情的なメロディーに溢れ、ノルウェーの雄大な自然への賛美が感じられる、作曲家初期の傑作です。

 

第一楽章Allegro molto moderato

 4分の4拍子。ティンパニのトレモロとピアノの雄大なパッセージから始まり、木管がためらいがちな歩みを始める。中間部のチェロの語りかけるようなテーマも美しい。後半のピアノのカデンツァは繊細かつドラマティックで、最後は冒頭のパッセージが帰ってきて圧巻の終結部に至る。

第二楽章 Adagio

 ゆったりとした8分の3拍子。弱音器をつけた弦楽器が優しく慈しむようなメロディーを歌った後、ピアノが玉の転がるような調べを奏で始める。遠い記憶を懐かしむような、夢見るような美しさの中静かに曲が閉じられる。

第三楽章Allegro moderato molto e marcato

 軽快なリズムで始まる4分の2拍子。ピアノによって提示されるドラマティックなテーマはノルウェー舞曲を思わせる。中間部ではフルートが牧歌的でノスタルジックなメロディーを歌い上げる。再現部ではもとの軽快なリズムに戻り、カデンツァを経てプレストで終結部に突入する。最後は中間部のテーマがオーケストラ全体で壮大に奏でられ、堂々たる大円団となる。

 

 ニールセンやシベリウスもそうですが、グリーグもまた19~20世紀の国民楽派と呼ばれる作曲家の一人です。彼が生まれた頃、クラシック音楽の中心はドイツであり、ノルウェー独自の音楽はまだ概念としては成立していませんでした。ノルウェーの自然を愛し、友人との山歩きを楽しみとしたグリーグは、山村を訪ね歩いては民族舞踊や民謡に耳を傾け、そこからインスピレーションを得て民族色豊かな独自の音楽を築き上げていきます。特に歌曲やピアノ曲には独特の響きやリズムを持つ珠玉の小品を多く残してくれており、「トロルドハウゲンの婚礼の日」や「4つのノルウェー舞曲」などがお勧めです。ヨーロッパの片田舎の作曲家に過ぎなかったグリーグはこうしていつしか国民的作曲家としての地位を確立し、フランツ・リストらの絶賛を受けて世界的にも人気を博するようになったのです。

 

シベリウス / 交響曲第5番 変ホ長調 作品82

 この交響曲はシベリウスの生誕50周年記念祝典・演奏会のために作曲されました。祝ってもらう人がそのお祝いの曲をみずから作曲するというのも変な感じですね。シベリウスご本人としては7年前に咽頭癌を宣告され大好きな夜遊び・お酒・煙草を一切禁じられていたところ、腫瘍も良性と分かり快癒した喜びから早速当時構想していた3曲の交響曲から最も祝祭に相応しいものを第5番として1914年より作曲に取り掛かりました。しかし折しも勃発した第一次世界大戦のためフィンランドは主戦場から離れてはおりましたが、経済状況は一気に悪化してしまいました。シベリウス自身、ヨーロッパ諸国から入ってくる印税がほとんど入って来なくなり、生活のための作曲を余儀なくされた結果、交響曲の作曲作業は大幅に遅れ、1915年12月8日の誕生日の初演にやっと間に合った状態でした。演奏はかなり好評でしたが、完全主義のシベリウスとしてはやはり不本意だったのでしょう、直ちに改訂作業に着手しました。翌年の1916年に改訂第一稿が出ましたが、結局第一次世界大戦が終結し、100年以上帝政ロシアの圧政に苦しんだフィンランドもめでたく独立を勝ち得た1919年にやっと現在演奏されている決定稿が完成しました。

 全体的には200小節程長くなり、初演時は4楽章でしたが第1楽章と第2楽章が統合されて3楽章になり、終楽章もより明快かつ肯定的になり元々祝祭的かつ壮大であったこの交響曲は若い頃の人気曲であるフィンランディアや交響曲第2番の次によく演奏会に取り上げられる曲になっています。芸術的により高踏的かつ緻密によく練られた第4番や第7番を高く評価する評論家・研究家が多い一方、この魅力的な交響曲をシベリウスの最高傑作とする人もかなり多いです。

 さてこの交響曲はいきなり弦楽器抜きで牧歌的なホルンで導入され、それに鳥あるいは小動物の鳴き声の様な木管が掛け合いながら始まります。さながら雄大な自然の光景が眼前に広がる様に、ゆったりしたテンポで曲が進行していきます。少し哀調を帯びた弦楽器がそよぐ風の様に加わって来ます。本来第2楽章であった第1楽章の終わりはスケルツォで、めまぐるしく一気に緊迫度を高めて急速に終結します。

第2楽章は極めて単純な書法で書かれた変奏曲で微妙にニュアンスを変えながら森の中を逍遥する様に転回して行きます。さながら「むかし、むかし」と昔話を語る趣だと評する人もいます。これで決して退屈な音楽にならないところが、さすがにイギリスの評論家セシル・グレイをして「ベートーヴェン以後最大のシンフォニスト」と言わしめたシベリウスの腕前でしょう。

 第3楽章は白鳥を見かけて森の中を追いかける子供の光景を描いていると言われています。そしていきなり眼前の視界が開け、間近に優雅に舞う白鳥が見える感動的な場面になります。再現部はそれが大人になってからの回想シーンの様に繰り返されます。それが弱音器を付けて音量を抑えた弦楽器および提示部ではハ長調に解決された旋律が変ト長調に行ってしまうことで象徴されます。 抑えられた感情が一気に弾けるようにトランペットが一転して変ホ長調で朗々とオスティナートの白鳥をイメージしたテーマを演奏し感動的に終結して行きます。最後の6つのそれぞれ間を取った最強和音は初演時にはありませんでしたが、これをもってくることで雄大な自然の中でこだまが響く様な空間の広がりを感じさせてくれます。

 この第3楽章のインスピレーションの元として、シベリウスの1915年4月21日の日記には次のような記述が見られます。

「今日、11時10分前に16羽の白鳥を見た。大いなる感動!

神よ、なんという美しさだろう!白鳥は長い間私の頭上を舞い、

輝くリボンのように、太陽の靄の中へ消えていった」

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