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第29回定期演奏会 曲目解説

ヨハン・シュト ラウスⅡ / トリッチ・トラッチ・ポルカ 他

ヨゼフ・シュトラウス / 鍛冶屋のポルカ 

 1858年、大老井伊直弼は反対派への組織的な弾圧を開始した。世に言う安政の大獄である。同じ 年、城壁を取り壊して環状道路の建設を始めたオーストリアの首都ウィーンでは、ヨハン・シュトラウス2世作曲の「トリッチ・トラッ チ・ポルカ (3分)」の初演が行われていた。

 ヨハン・シュト ラウス2世の弟ヨゼフも音楽家で、代表作が 1869年に初演された「耐火! (3分)」。ウィーンの金庫会社からの嘱託作品で、曲中で金床(かなとこ)が使われることから「鍛治屋のポルカ」とも呼ばれる。

  当時の作曲家にとって嘱託は重要で、ヨハン・シュトラウス2世の「雷鳴と電光の下で(3分)」も嘱託作品である。初演は「耐火!」の1年前。打楽器が大活躍する。その後「ウィーン気 質(かたぎ)」や「こうもり」などのオペレッタの劇中音楽とし ても演奏されるようになった。

 喜劇「こうもり」は、元彼を刑務所に送り込んだ奥方が、 温泉街での年末大仮装パーティに出かけた浮気なご主人から懐中時計を騙しとり、後で証拠にする、というストーリー。劇中のパーティーシーンでは、しばしば 「雷鳴と電光の下で」や「チク・タク (3分)」が演奏される。ソプラノ独唱の「チャルダッシュ (5分)」は奥方が「わたしはハンガリー人」などとしらを切る場面の曲である。初演は 1874年。後にウィーン国立歌劇場監督となるグスタフ・マーラーはこのオペレッタを何回も指揮している。

  この時代は、長く続いたウィーン体制からの離脱だった。1853年にはおなじみクリミア半島に端を発するクリミア戦争が勃発し、ハンガリー地方からドナウ 川周辺まで巻き込んだ空前の大戦争となった。アルフレッド・ノーベルが稼ぎまくり、フローレンス・ナイチンゲールが多くの命を救った。戦後 1856年のパリ条約で黒海の非軍事化やドナウ川の航行の自由が定められたが、主導権はもはやオーストリアにはなかった。 

 多くの作曲家が住んだ街ウィーン。その全てのジャンルを超えた代表作が「美しく青きドナウ (10分)」ではないだろうか。

   ヨハネス・ブラームスはこの曲が大好きだった。シュトラウスとブラームスが並んで写っている写真があるが、お洒落なシュトラウスと頑固そうなブラームス との対比が面白い。シュトラウスはフランツ・リストとも知り合いで、1882年に2人の即興演奏をソプラノとオーケストラにまとめたものがワルツ「春の声 (6分)」である。世の中、どこで誰とどうつながるかわからないので、気をつけなくてはいけない。

 1867年2月、ウィーンで初演。その後 4月のパリ万国博覧会で一躍脚光を浴びた。幕臣として視察に来ていた渋沢栄一もこの曲を耳にしたかもしれない。ひそかに「Donau so blau」と口ずさんでいたかもしれない。だがこの年11月、大政奉還。ブラームスが交響曲1番を完成させるまでにはあと9年。グスタフ・マーラーは 7歳だった。

 1968年、鬼才スタンレー・キューブリックによる映画「2001年宇宙 の旅」が公開された。漆黒の宇宙に浮かぶ青い地球、回転する低軌道宇宙ステーションVとそこへ向かう連絡船オリオンⅢ。この圧倒的なシーンで流れたのも 「美しく青きドナウ」であった。作中、オリオンⅢの航法コンピューターはIBM製であった。

マーラー / 交響曲第4番 ト長調 

マーラーは1860年ボヘミア(チェコスロバキア領)の小村カリシュトでユダヤ商人の子として生まれた。居酒屋を営む家業のため、店では流しの楽師が奏でる音楽や酔っ払いたちでいつも喧騒に溢れていた。かたやその裏側ではたくさんいた兄弟たち(14人!) が病気等で次々と亡くなりひっそりと運び出されていくといった幼少時代における二面性の体験が彼の作品には深く息づいている。マーラー自身も決して順風満 帆な人生ではなく、指揮者として大活躍する傍ら、様々な病気(神経症、重度の痔疾、心臓病等)や娘の死、妻の不貞等を経験しており、それらに対する胸の内 を吐露するとでもいうべき交響曲を生涯書き続けた。そして「やがて私の時代が来る」と言い残しこの世を去ったが、日本における往年のマーラーブーム然り、 今はまさにマーラーの時代と言ってもいいかもしれない。

この第4番はマーラーの交響曲のなかでも素朴な明るさに満ちていて、親しみやすい曲となっている。「子供の不思議な角笛」からの引用が見られるという点で、第2番、第3番と並び「角笛交響曲」と表現されている。第4楽章は1892年に完成していたオーケストラ伴奏歌曲(「天上の生活」)で、この楽章は元々交響曲第3番の第7楽章にする予定だったのが第4番に持ち越されてきたものである。なおこの曲は死の数ヶ月前までマーラーが諦めずに改訂を行っていた執念の作でもある。

第1楽章:Bedachtig, nicht eilen(慎重・思慮深く、速すぎずに)

鈴の音が印象 的な出だしのこの楽章はマーラーの幼少時代を象徴している。好奇心に満ちた少年の眼に映る自然の神秘の中で陽気に駆け回っているかと思うと、一瞬にして不 安や恐怖を感じるといった心情の変化が表現されている。マーラー自身による次の言葉が全てを語っている。「第1楽章は、三つまでも勘定できない、といった調子ではじまるんだけれど、すぐに九九ができるようになり、最後には何百万といった目がまわるような数字を計算してしまうのだ。」

第2楽章:In gemachlicher Bewegung, ohne Hast(心地よい律動で、慌てずに)

いわゆるスケ ルツォ楽章で、ここでは人間界に紛れ込んだ異質の存在(死神)を描いている。人間と同じことをやっているようでどこか違和感を否めないこの死神役をコン サートマスターがフィーデル風にと指定された一音高く調弦されたヴァイオリンにより奏でる。この変則調弦はスコルダトゥーラと呼ばれ、本来の楽器の響きの 趣向を変える目的で用いられる。このヴァイオリンソロについて、マーラーは「友ハイン(死神)が演奏する」と語っており、まさに「死の舞踏」を意識したグ ロテスクなものとなっているが、中間部(トリオ部)では一転して穏やかで天国的な世界が暫しの間開かれる。

第3楽章:Ruhevoll, poco adago(安息のうちに)

第3番の第6楽 章の雰囲気を受け継ぐ非常に美しい緩徐楽章であるが、変奏曲形式であり、変奏によりテンポも大きく異なる。マーラーはこの楽章を「聖ウルズラの笑い」と名 付け「この曲をみると、子供時代に見た、深い悲しみをいだきながら涙を浮かべるようにして笑っていた母親の顔が思い浮かぶ」と語ったそうである。また「こ の曲全体では、神々しく晴朗な旋律と深く悲しい旋律とがあらわれるが、きみたちはそれらを聴くと、ただ笑ったり泣いたりすることしかできないだろう。」と 説明しているが、まさにマーラーの二面性が端的に現れており、感情の揺れ幅の非常に大きな楽章となっている。

第4楽章:Sehr behaglich(とても安楽に、くつろいで)

ソプラノ独唱により歌曲集『少年の魔法の角笛』の「天上の生活」が歌われる。マーラーはこれを第4番 に用いるにあたり、他の楽章の編成に合わせてオーケストレーションを拡大している。スコアには独唱について「子供らしい明るい表情で、まったくパロディな しで」という注釈が書かれている。神に守られた天上の幸福な世界の様子を天使の声よろしく子ども(曲中ではソプラノ・ソロ)が嬉しそうに歌い上げる、とい う設定になっている。

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