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第33回定期演奏会 曲目解説

ワーグナー  歌劇「さまよえるオランダ人」序曲

この序曲は劇中の主要なモチーフ(動機)をメドレーのようにつなぎあわせた構成になっています。曲の冒頭、弦楽器のトレモロに乗ってホルンとファゴットがニ短調の旋律を力強く演奏します。これが「呪われたオランダ人の動機」です。物語の主人公のオランダ人は神を呪ってしまったため逆に呪われて死ぬことができず、幽霊船の船長として海をさまよっています。このあと音楽は荒れ狂う海の様子に変わります。弦楽器による半音階進行の上昇と下降の繰り返しです。この暴風雨が収まると音楽は一転穏やかになり、コールアングレ、オーボエとリレーされる穏やかな旋律がヘ長調で演奏されます。これが「救済の動機」です。オランダ人船長にかけられた呪いには救済のチャンスが与えられています。7年に一度だけ上陸が許され、そのとき本当の愛をささげる女性が現れれば救われるというのです。「救済の動機」は、その女性(ゼンタ)をあらわす動機でもあります。

音楽は再び「オランダ人の動機」が現れ、荒海の情景に戻ります。しばらくそれが続いたあと陽気な民謡風の音楽に変わります。これは「水夫の合唱の動機」です。でもそれは長続きせず、序曲は今までに現れた動機が入り乱れて結末に向かいます。「救済の動機」も何回か現れますがすぐに遮られます。しかし、やがて音楽はニ短調からニ長調に変わります。最後は呪いが消滅したのか「オランダ人の動機」が長調で奏でられ、「救済の動機」が美しく響き序曲が終わります。これに続くオペラは以下のような展開になります。

ノルウェーの海岸でオランダ人に出くわした船長ダーラントはオランダ人を娘ゼンタに引き合わせます。彼女はオランダ人を救おうと永遠の愛を誓います。しかし、ゼンタの恋人のエリックがゼンタを責めているのをみたオランダ人は彼女をあきらめて幽霊船を出航させます。それを知ったゼンタは愛を誓いながら海に身投げします。するとオランダ人の船は呪いが解けて沈没し2人は天に召されます。

女性の愛が男を救うというワーグナーのテーマがはっきりとあらわれた作品です。

ドニゼッティ  歌劇「愛の妙薬」より「愛しい妙薬よ、おまえは僕のものだ!」「人知れぬ涙」

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 ロッシーニやベッリーニとほぼ同時代に活躍したドニゼッティの代表作の一つである「愛の妙薬」は1832年に初演された全2幕からなる喜歌劇です。不器用な村の青年ネモリーノは村一番の美女アディーナを好きになります。そして何とか自分へ興味を持ってもらおうと、いかさまの薬売りから手に入れた「飲めばたちまち恋が成就する妙薬」(実は単なる安物ワイン)をだまされたとも知らずに飲みますが・・・。

 物語はすったもんだの挙句、二人が結ばれるハッピーエンドで幕を閉じます。本日は「ラララの二重唱」として有名な「愛しい妙薬よ、おまえは僕のものだ!(①)」、主人公ネモリーノがしっとりと歌う「人知れぬ涙(②)」の2曲をお届けいたします。

 

意訳①:

ネモリーノ:愛しい妙薬よ!まだ飲んでもいないのにぼくの胸には喜びが満ち溢れている。ラララ・・・

アディーナ:あの人、あんなに浮かれてどうしたの?私への愛の苦しみはどうなったのかしら?

 

意訳②:

ひそかな涙があの人の目に浮かんだ。彼女は僕を愛しているのだ。彼女の心の高鳴りを感じられたなら、彼女のため息に僕のため息が混ざり合うなら、ああ、愛のために死んでもかまわない。

J.シュトラウス / 喜歌劇「こうもり」より「侯爵様、あなたのようなお方は」

 シュトラウスの美しいメロディで一杯の傑作オペレッタ「こうもり」。中でも魅力的なのがこのアデーレのアリアです。

アデーレはアイゼンシュタイン男爵家のメイドですが、女優オルガと名乗って舞踏会に出席します。何とそこで男爵に鉢合わせ!「あなたは我が家の女中に似ていますね」とニヤニヤしながら言う主人にアデーレが逆襲します。
「女中ですって、失礼な。私は女優ですの。私の手足やスタイルを御覧なさいませ。横顔はギリシャ彫刻のようでしょう。ほほほほほ!全くおバカな方ですわ、侯爵様あなたは!」

実は男爵も、フランス人のルナール侯爵と偽って出席しているので、あっさり降参します。アデーレのはったりが可愛くて痛快です。

 「こうもり」は主役級の登場人物が8人位いて、さらに劇中でそれぞれ別の人物に変装し、だましあったりして構成が複雑ですが、話がよく出来ていて本当に楽しく、何度見てもあきない作品です。

 シューベルト(リスト編)/ 「魔王」

 音楽の授業で習った方も多いと思いますが、「魔王」はリート(Lied)とよばれるドイツの歌曲です。ゲーテ、シラー、ハイネなどの詩人の韻文詩に、シューベルトやベートーベンやシューマンら名作曲家たちが曲をつけ、奇跡のコラボというべき名曲が次々に生まれました。

ゲーテによる「魔王」の詩は、父親と子供と魔王(死神?)の三者の対話でできていて、緊迫した場面が劇的に描かれます。

夜遅く風の中を、父親が馬に乗って、息子を腕に抱え家路を急ぐ。息子は激しく怯え、魔王がそこにいる!と訴えるが、父親には見えない。怖がるな、それは霧や柳の影や風の音だ、と父親は息子をなだめる。魔王は猫なで声で何度も子供を誘い、ついに息子は襲われて半狂乱になる。

ようやく屋敷に着いた時、父の腕の中で子供は死んでいた。

歌手は三者と語りを声で演じ分けます。それらの音楽の違いにもご注目ください。本来ピアノ伴奏の曲ですが、本日はリスト編曲のオーケストラ伴奏版で演奏。

グノー / 歌劇「ファウスト」より「宝石のアリア」

 中世ドイツには悪魔と契約して魂と引き換えに地上の快楽を手に入れたという「ファウスト伝説」がありました。これに強い関心を持ったドイツの文豪ゲーテは戯曲を作り、グノーは更にそれらを基に歌劇「ファウスト」を作曲しました。物語的には簡素化されてはいるものの、管弦楽、合唱、バレエを駆使した全5幕からなるグランドオペラです。

 悪魔メフィストフェレスが用意した宝石箱を玄関で見つけたマルグリート。宝石のあまりの美しさに思わず身につけてみるとなんと自分にピッタリ! 更に鏡に映った自分を見て「笑わずにはいられない…まるで王女様みたい」と自分の美しさに自信を抱く「宝石のアリア」は曲中最も人気のあるアリアの一つです。

意訳:

鏡の中の私はなんてきれいなのかしら?なんてぴったりのブレスレット。それはマルグリート、あなたなの?いえもうこの顔は王女様のよう。誰もが敬礼する王女様のようだわ。

ブラームス / 交響曲第1番 ハ短調 作品68

フランクフルトで飛行機を降りて国道5号線を南へ下ると、マンハイムやハイデルベルグなどの有名都市を過ぎて、カールスルーへという人口30万(目黒区より少し多い) の都市に着く。1876年11月4日土曜日、ここでヨハネス・ブラームスの交響曲1番(以下ブラ1(ぶらいち)) の初演が行われた。

 

ブラームスの弁によると最初のスケッチから初演まで21年かかったことになっているので、安政元年に作曲を開始して万延-文久-慶応を経て明治9年に完成したことになる。その後も最終版の出版までに場所をフライブルグに移して何度か試演(ベータテスト)を重ねている。国外初演は1877年3月8日にイギリス。

 

第一楽章 (15分) はティンパニの連打と弦楽器の半音上昇音形で幕を開ける。有名な序奏であるが1862年(文久2年) の初期バージョンには含まれていない。Allegroの主部では表拍(イチ、ニイ、と数えたときのイチ) と裏拍(同ニイ) が揺れ動く。

 

入れ替わった拍はこの時期のブラームスの典型的な手法である。順当にソナタ形式を辿って最後に短いコーダ(後奏)で終わるが、標準的な演奏ではここまでの序奏、提示部、展開部、再現部の演奏時間がほぼ全3分前後になる。形式を重んじたブラームスが狙ったとしか思えない。

 

ブラームスは譜面の出版までに最低6回の試演(ベータテスト)を行いたかったそうだが、出荷を急ぐ出版社のジムロックに急かされ3回で終わった。古今東西、この構図は変わらないものだと感慨深い。

 

第二楽章 (8分) も初演時には最初の19小節分がなかったそうであるが、後付けとは思えないほど豊かな18小節から美しいオーボエの第2主題に至る。弦楽器に動きが出るとオーボエとクラリネットの華麗な動きをみせる中間部。そして冒頭の再現がリッチな管楽器の音で奏でられる。例の付け加えられた冒頭の18小節をなぞるのだが、これほど硬くintegrate された内容が、ただの思いつきで後付けされたとは思えない。第2主題が今度はバイオリンのソロで奏でられ、そしてホルンとオーボエとバイオリンの三重奏で奏でられ、静かに美しく終わる。

 

作曲者が初演後に改訂を行うのは珍しいことではなく、同時代のグスタフ・マーラーも交響曲のオーケストレーションに大きな改訂を施しているし、ブルックナーにおいては◎♨版や△♂版などが並立して存在している。だがブラ1に関しては稀に珍しさから旧版再現演奏がされるにせよ、ブラ1といえば今日私たちが演奏するこの版以外には考えられない。この形以外が考えられないところがブラ1の凄みであろう。

 

第三楽章 (5分) はシンプルなクラリネットのソロで始まる。西洋音楽的に落ち着きのいい4小節単位のフレーズではなくあえて5小節単位で作られたメロディーで、これもこの時期のブラームスのマイブームだったらしい。1869年(明治元年) にピアノ連弾用に出版されたハンガリー舞曲集にも6小節や7小節単位のフレーズが散見される。

 

第四楽章は暗い序奏部(2分半)、明るい序奏部(2分)、提示部(3分)、大幅に拡張された再現部(6分)、そして終結部(2分) で構成される。

 

暗い序奏部には第1主題が隠されているのだがこの時点では拍もテンポも強弱も揺れ動き、ただただ不安である。これを拭い去る明るい序奏部は明らかにアルプスの谷間のこだまを意識した正統派のホルンのテーマにトロンボーンのコラールを挟み、期待をいや上にも盛り上がる。

 

提示部の第1主題はなんと表現すればいいのだろう。テンポも小節構成も和声進行も、第2主題から結尾部までも全て古典的に揺るぎなく、不安は一切ない。

 

再現部は再び第1主題で始まるが、途中暗い序奏部のモチーフも混ざり、明るい序奏と不安のせめぎ合いになる。再び拍が揺れ動き始めるが、明るい序奏のテーマが爆発して再現部後半に入る何の迷いもなく忠実に主題を再現して、終結部に至る。序奏のコラールが結論を出すと、一気呵成に終曲に至る。

 

昭和を代表する指揮者であるヘルベルト・フォン・カラヤンが初めて来日したときに演奏されたのはブラームスの1番であった。日本を代表する作曲家であり指揮者だった芥川也寸志(大正14年~平成元年) は最後に「ブラームスの一番を聴きたい」と言ったそうである。

 

この曲は調性(c-moll →C-Dur) がベートーベンの「運命」と同じであるとか、第四楽章のテーマがベートーベンの「合唱」に似ているなど色々言われた挙句に「ベートーベンの第10交響曲である」などと言われる。大変失礼な話だ。この曲はブラームスの唯一無二の交響曲1番であって、それ以外の何物でもない。

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