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第34回定期演奏会 曲目解説

スッペ  喜歌劇「軽騎兵」序曲

 スッぺの軽騎兵序曲、小学校の音楽の授業で聴いたなあ、という方も多いのではないでしょうか。でも、そう思われたあなたはおそらく30歳以上ではありませんか?軽騎兵序曲は小・中学校の学習指導要領で長らく鑑賞共通教材となっていましたが、1998年に鑑賞共通教材が廃止され、それ以降は軽騎兵序曲が音楽の授業で鑑賞されることも少なくなっているようです。

 作曲者のスッぺは、ワルツ王のヨハン・シュトラウスやオッフェンバックなどが活躍していた時代、19世紀のウィーンの作曲家です。幼少の頃から音楽の才があり、フルートも上手だったようです。父親の意向で大学に進み法律を学んでいたようですが、父親急逝の後、ウィーンに移り住んでからは本格的に音楽の道に進み、いくつかの劇場の指揮者や劇付随音楽の作曲などで活躍しました。特に、数々の喜歌劇を作曲したことで知られています。しかしながら、これらの作品が今日上演されることはほとんどなく、この「軽騎兵」や「詩人と農夫」、「スペードの女王」などのいくつかの序曲のみが今日でも演奏されています。

 1866年にウイーンで初演された喜歌劇「軽騎兵」はいろいろな舞曲で作曲され、とても人気のあった喜歌劇だったようですが、劇の筋書きについてはあまり情報がなく、はっきりしたものはわかりません。

 序曲は勇壮なトランペットとホルンのファンファーレに始まり、バイオリンの軽快な旋律ののち、騎馬兵の軽快なギャロップが鮮やかに思い浮かぶような行進曲が続きます。クラリネットのソロで場面が転じ、もの哀しげなエレジー風のメロディーが奏でられます。そして、ふたたび騎馬兵の行進から冒頭のファンファーレのモチーフが再現され、壮麗なフィナーレを迎えます。

 ウインナワルツとはまた違った19世紀のウィーンの軽妙で小粋な名曲、音楽の授業で聴いた方もそうでない方も、小学生の頃のように曲の場面ごとの情景を思い浮かべながら楽しんでいただければ幸いです

モーツァルト  交響曲第39番 変ホ長調 K. 543

 白鳥は普段ガアガアと鳴いているが、死の直前にただ一度だけ、それはそれは美しい声で鳴くという。サンセットを迎えるプロジェクトに Swan Song というコードネームが付くのはこのためだ。モーツァルトの交響曲39番も Swan Song と呼ばれる。あくまでも明るく美しいこの曲は、彼の古典的交響曲の集大成である。だが待てよ、モーツァルトはこの後に40番と41番の交響曲も残しているではないか。なぜこれが白鳥の歌?

 指揮者のアーノンクールは、39番から41番の交響曲は1788年 (天明8年) 夏の非常に短い時期に連続して完成されたことから、29歳のモーツァルトがこれらの曲を連続して演奏されるべきいわばメタ交響曲として作曲したのではないかと論じている。管楽器の編成が少しづつ異なるので、今日の譜面そのままでは無理があるが、序奏を持つ白鳥の歌39番、疾走する悲しみの40番、そしてグランドフィナーレの41番ジュピターが連続して演奏されたらと夢想するのは楽しい。

 

◆第一楽章 Es-dur、Adagio (2分) - Allegro (7分)、序奏付きのソナタ形式

 変ホ長調の和音から始まり、ffやフェルマータで淀まず、そのまま主部へと流れ込む。提示部を繰り返すと短い展開部に入り、形通りに再現部となる。

 

◆第二楽章 As-dur、Andante con moto (8分)、展開部を欠くソナタ形式

  弦楽器が第一主題を歩くような速さで演奏する。へ短調の第二主題。そして再び第一主題から、木管楽器が輪唱をする長いコデッタに続く。拡大された再現部に入り、短いコーダで終わる。

 

◆第三楽章 Es-dur、メヌエット (2分) -トリオ (3分) - メヌエット (1分)

  堂々とした主部が変ホ長調で演奏される。同じ変ホ長調のトリオはクラリネットの二重奏が印象的。主部に戻って終わる。

 

◆第四楽章 Es-dur、Allegro (5分)、ソナタ形式

  いきなりエンディングに向かって走り始める。第一主題のモチーフを使った第二主題から前半を繰り返し、さらに同じモチーフによる展開部をへて再現部に至り「え?これで終わり?」という終わり方をする。前説によれば、ここから交響曲40番、そして交響曲41番へとつながるのである。このあと35歳で没するまで、モーツァルトは交響曲を書いていない。

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シューマン  交響曲第4番 ニ短調 作品120

 ローベルト・シューマンは1810年プロイセン王国(現ドイツ)に生まれた。7歳ごろからピアノの手ほどきを受け音楽の才能を開花させていった。父は書店兼出版社を経営していたので膨大な蔵書を自由に読むことができたことから青春時代は音楽だけでなく文学にも傾注した。親の意向に沿い法科大学に進学したがピアニストになりたいという夢も持ち続けていた。在学中パガニーニのヴァイオリン演奏に衝撃を受けたことが契機となり大学を退学、音楽の道を選択するという苦渋の決断をした。

 ピアノの才能をさらに伸ばすためにピアノ教師ヴィークに入門しヴィーク家に下宿することになった。ここで運命的な出会いがあった。当時天才ピアニストとして活躍し始めたヴィークの娘クララだ。クララは後にシューマンの妻となり8人の子供を育てるだけでなくシューマンの作曲活動も支え続けた。

 シューマンは22歳で手の中指が麻痺して故障したため演奏家になることをあきらめ作曲に集中することになる。作曲だけでなく24歳で雑誌「音楽新報」を発刊し音楽の評論家兼編集者としても活躍した。ブラームスのような新進気鋭の作曲家の作品を擁護し、当時の最も重要な音楽評論家の一人となった。30歳でヴィークの娘クララと結婚し、その翌年交響曲第1番の作曲と初演、そして今回演奏する交響曲第4番の初稿を完成させ翌年妻クララに誕生日プレゼントとして贈られた。作曲順からすると第2番だが、初演での評判が良くなかったため楽譜の出版は断られてそのままお蔵入りとなった。

 10年後の1851年に大幅な改訂に着手しその2年後にシューマンの指揮で再演し大成功を収める。この第2稿を交響曲第4番作品120とし楽譜を出版することができた。今回演奏するのはこの第2稿となる。当時としては斬新な構成を持ち、自筆譜には「交響的幻想曲」と書かれている。全楽章が切れ目なく1つの物語のように休みなく演奏され、1つの主題が繰り返し現れる手法と採って楽曲全体に統一感を与えている。まさにシューマンの斬新性とロマンティシズムを彷彿させる作品になっている。しかしその後、精神障害や聴覚異常に苦しみながらライン川に飛び込む自殺未遂事件を起こし、2年後46歳で亡くなった。

 

◆第一楽章 かなり遅く→いきいきと

 ニ短調の暗く陰気だが重厚な響きの序奏で始まる。主題は上下する半音階進行により不安感を醸し出しながら速度を速め見事な移行により、一転していきいきとし確信に満ちた主部に到達する。主部の第一主題は楽器を変え調性を変えて繰り返し出現するが、最終楽章でも再利用される。途中複数回のフェルマータにより場面転換しながらも流麗な旋律と第一主題が交互に現れ、激しさを増して第一楽章のコーダに到達する。

 

◆第二楽章 ロマンツェ(かなり遅く)

 第一楽章の激しさから一転して管楽器のイ短調の和音に導かれてオーボエとチェロのソロによる哀愁を帯びた主要主題のメロディーが奏でられる。シューマンの初稿ではチェロソロの指示が横線で消されているが、慣習的に横線で削除したチェロのソロでの演奏される。その後、再び第一楽章冒頭の暗く陰気なメロディーが現れるが、幸せを感じるヴァイオリンソロによるメロディーが続く。再びオーボエとチェロによる哀愁を帯びたデュエットで終わる。

 

◆第三楽章 スケルツォ(いきいきと)

 第二楽章から休みなくニ短調の力強いスケルツォに進む。スケルツォの主題は第一楽章の序奏主題に基づいているが暗い陰気さはなく活力にあふれている。途中、明るく温和な変ロ長調のトリオが入るが、これも第二楽章の中間部のメロディーを若干変更してヴァイオリンで奏でられる。最後は、抒情的なメロディーが徐々に分解されて断片となり消えてゆく。そして最終楽章へ不安定な和音で静かに移行する。

 

◆第四楽章 遅く→いきいきと

 第三楽章から切れ目なく遅く静かな序奏が始まる。第一楽章の不安感に満ちた序奏主題がヴァイオリンとチェロにより再び現れ、トロンボーンとホルンによる高貴で確信に満ちたファンファーレが加わり、徐々に加速しクレッシェンドにより激しく力強い最終章へと導かれる。第一楽章の主題を元にしたチェロとヴィオラのパッセージと管楽器とヴァイオリンによる軽快だが力強いリズムが融合する。途中抒情的なメロディーをはさみ少し落ち着きを取り戻すがすぐに軽快で力強いリズムと上行音階の嵐が交互に現れる。途中1つのテーマが次々に別の楽器に受け渡されるフーガ風のパッセージも組み合わさり、フィナーレは「速い」「プレスト」という速度指示により演奏可能なギリギリの速度まで加速して明るく力強いニ長調で締めくくられる。

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